5/31/2015

ローマ字はいけません

イギリスの道路標識は実に良くできていてパッと見るとすぐに意味が解るものが多いのですが、下の写真の標識は私にとって忘れられない標識です。それは、私がこの国に来てすぐの時か、またはこの標識が出来てすぐの時か覚えていないのですが、初めて見た時に一緒にいた人がこう言いました。「ああ、この辺はおばあさんたちが、スリをしているところだから気をつけたほうがいいよ。特におじいさんが被害に遭っているようだ。」と。

「えっ?おばあさんがスリをするの?すごいなー!」と、私は気をつけなければいけないことより、「そういう元気なおばあさんに会ってみたいものだ」と思ったものでした。

もちろんこれは私がかつがれただけで、一緒にいた人の(誰だったかも覚えていませんが)ジョークだったわけです。私の驚いた顔を見てきっとその人はお腹の中で大笑いをしていたことでしょう。

もちろん、この標識は「お年寄りが道を渡るので、運転には十分気をつけて!」というサインです。





先日、日本に行く友人から日程の相談を受けたとお話ししました。その数日後、今度は他の友人から「実はクリスが日本にホリデーで出かけるんだけど、ちょっとした日本語を習いたいと言っているの。1時間くらい彼女に付きあってくれない?」と連絡が入りました。私は日本語を教えた経験は全くないので(泊まる際にホテルのスタッフに「ありがとう」「さようなら」「おはよう」は数え切れないくらいおしえましたが)、あまり考えずに友人の所でクリスに日本語を教えました。

それがけっこう難しくて。私は小学校の時にローマ字を習った人間です。今、考えるとローマ字は返って逆効果だったかも?

一通り「ありがとう」「こんにちは」「さようなら」などおしえた後で、‘How do you do ?’は何て言うの?と聞かれました。

「初めまして」とおしえてあげたら彼女、目をまんまるくして「えっ?もう一度ゆっくり」。「ハ.ジ.メ.マ.シ.テ.」 数回言ってもまだ覚えられないようで(彼女はもうすぐ70歳に手が届く年代)、「どう書くの?」といわれたので hajimemashite とローマ字で書きました。

これを読んだ彼女は「ハジャイムマシャイトゥ」と発音しました。私が変な顔をしているので、「あらっ、違ったかしら? ‘ハジミーマシャイトゥ’なのね?」ますますわからなくなってきました。なんでhajimemashite が「ハジャイムマシャイトゥ」になるかと言いますと、英語では例えば ‘i’の発音もその後のアルファベットで変わってくるのです。

例えば jimだけなら‘ジム’ですが、jimeと、‘m’ の後に ‘e’が付けば ‘ジャイム’になるのです。shitだけですと(すみません。意味は考えないでください) ‘シットゥ’ですがshiteと、‘e’がつけば発音は‘シャイトゥ’になります。

日本の方が英語でお名前を書く場合、ほとんどの方はローマ字で書かれます。でもこれが発音と全く違うので英国人にお名前を呼ばれても全く気が付かない方が多いといったことがよくあります。

日野さんは Hino と書けば多分は「ハイノー」さんと呼ばれるでしょうし、太田さんはOtaと書けば「オターさん」と呼ばれるでしょう。Hiknow とか、Ohtaと書けばもうちょっと日本語に近い呼び方をしてくれるかもしれません。

結局、私はローマ字を完全に放棄して私が何度も発音してクリスが自分の覚えられるように英語に書き換えるというやり方で進めました。

外国人に日本語を教える先生たちのご苦労がわかりました。イギリスでも日本語を学ぶ人が増えているので益々先生たちのご活躍を期待します。そういえば最近、イギリスでも(世界中だと思いますが)日本語が出回ってきました。

「スシ」「サシミ」に続いて「マンガ」「ウマミ」などです。英語がどこに行っても通じるという理由で外国に行っても英語で通していたイギリス人ですが、その国に行ったら少なくともその国の言葉をちょっとは勉強していくこともマナーの中にいれたいですね。

5/30/2015

チャリティウォークを無事終えました。

昨日は「セント.ジェイムズ界隈の王室御用達ウォーク」を行いました。途中雨が降り出し、急ぎ足になることもありましたが、4件の御用達店にご案内し(飛び入りにも拘わらず招いてくださったペンハリゴンを含む)3時間半のツアーを無事終えました。

日本から参加してくださった方、今年のブルーベル.チャリティウォークに参加された方や、もう5年以上も前にヴァージン.アトランティック航空とのタイアップで実施したブルーベルウォークでお会いした方、またツアーでお会いした方などメンバーの中には懐かしいお顔も。


まずはセント.ジェイムズ公園の地下鉄駅に集合。16~17世紀にフランスで宗教迫害を受けてイギリスにやってきたユグノー教徒が住んでいたペティ.フランス通り、王室御用達協会の本部を通りバッキンガム宮殿からいよいよセントジェイムズ地域に入ります。

 
バッキンガム宮殿からトラファルガー広場に続く真っ直ぐの道 The Mall。この辺りに建てられた家は王族、貴族の家が多く、昔はロンドン一の高級住宅街だったところ。Spencer House, Clarence House, Marlborough Houseなどの名前にそれが表れています。




最初に向かったのはワイン商のBerry Brothers & Ruddです。1698年にコーヒーやスパイスを売るお店として創業を始めたワイン商は現在では900万本のワインを持ち(そのうち400万本はプライベートの顧客のために保管)、女王と皇太子のワラントを2つ持っています。ナポレオン3世がイギリスに亡命した際に隠れていたのはこのお店の地下だったそうで、正に歴史の宝庫といったところ。
 
 
まずはお店の雰囲気を全く持たないお店で社長室長から直々に説明を受けます。
 
 
 
 
 
普段は一般に公開していないところも見学させてくださって皆さん感激です。この部屋は昔から大事な会議、食事など限られた人たちによってのみ使われる部屋です。
 
 
 
 
 
 
なんと予定時間の2倍以上もオーバーして熱心に説明してくださいました。途中で私は次に約束が入っていた3軒先のロブにひとっぱしり。「30分以上遅れるけどすみません。」 
でも、それだけ熱心に説明して下さった社長室長のジェファーソン氏に感謝です。私も知らなかったことが沢山聞けて勉強になりました。
 
 
ベリーブラザーズを出た時は雨が降っていました。次はビスポークの靴屋さんロブ。
 
 
 
 
 
 
皆さん値段を聞いてびっくり。でも修理さえきちっとすれば40年履けるということを聞き、頭の中で計算。「自分の足にあった最高の靴を一年に1~2万円で買えるのなら....」とまんざらでもなさそう。でも皆さん、40年の月賦ではないですよ!一回払いでお願いします。
 
そういえば以前、30年以上前に作ったチャールズ皇太子の靴の修理をしているところだと聞いたことがあります。
 
 
次はバーリントンアーケード。19世紀のショッピングセンターの先駆者的存在です。ビードルズ(ビートルズではありません)と言われる特別な制服を来たひとたちは、まだお巡りさんが存在しなかったころにキャヴェンディッシュ卿に雇われたプライベートのガードマンだった人たちです。
 
ここの王室御用達の香水屋さんペンハリゴンは予定には入れていませんでした。友人が働いているので、当日交渉しようかなーと思っていたお店です。ところがこの日、友人はお休み。でもお店の方が、私たちを見て「どうぞ」と中に入れてくれました。そして2階のコンサルティングルームまで案内してくださって今でもペンハリゴンのシグネチャーとなっている ‘ブレナム’の匂いを試食、じゃなく試嗅。
 
次は仕立て屋さんのあるセヴィルロー通りです。セヴィルロウに仕立て屋として一番早くお店を開いたHenry Poole を見学。19世紀には王侯貴族、セレブなどがしょっちゅう出入りしていてクラブのような存在でもあったそうで、この日も有名なモデルがいました。皆さん写真を撮りたい気持ちをぐっとこらえて。お店を出た途端に「キャー!」の悲鳴です。世界で30ヵ国以上の王室御用達の特許を持つお店で、大正天皇、昭和天皇との関わりもあり、今でも年に数回日本に出向して日本の顧客のために完璧なビスポークのスーツをつくり続けるお店です。多くの特許状の中から日本の王室御用達のものも見つけて皆さんニッコリ。
 
 
 
 
 
 
 
ここでも作業場を見学。出来上がったスーツを見て、「やっぱりいいものはいい。違いがわかる!」と納得。
 
私にとっても王室御用達ツアーは初めての事でしたので時間調節にちょっと気を配りましたが雨が降っていたので、外でのお話は半分もできなかったのが返って幸いして予定時間ピッタリの1時に終了できました。その後、希望者と一緒にベジタリアンレストランのTibitで楽しいおしゃべりを楽しみ3時ころに完全解散。
 
ご参加下さった皆さん、ありがとうございました。参加費は全て東日本大震災ふくしまこども寄附金にJRTGAより寄付をさせていただきます。
 

 
 
 


5/26/2015

ドライストーン.ウォールを作る!

「ああ~イギリス~」と思う風景のひとつが田園です。そしてその田園をパッチワークの縫い目のように線を描いているのがドライ.ストーン.ウォール。しっくいやセメントなど使わずに作るので‘ドライ’といいます。それは単に平地だけではなく、湖水地方などに行けば山のてっぺんに向かって延々と続いています。全長なんと20万キロ。東京から下関まで1500キロくらいということなので、その130倍です。日本よりも小さな国でこの長さですから、ドライストーン.ウォールがイギリスの風景を作っているといっても言い過ぎではないでしょう。

それらは2枚の石塀の間に小石を入れて頑丈に作られています。そして下に行くほど厚さが増してきていますし、傾斜の部分はそれなりに積み方を変えています。正に芸術そのものといったところ。




イギリスではケルトの時代からこの石造りの塀が存在していたそうですが、14,15世紀から18世紀までは盛んにあちこちで作られていたようです。主な目的は所有する土地を囲うため(囲い込み)で、現存しているものの中には400年前に造られたものもあります。高さは1,4メートルから1,6メートル(羊が飛び越えられない高さ)。昔は土地を耕しているうちに出てきた石を使って、皆で助け合いながら作っていました。そのうちに職人が出て、最近では石切り場で採石された石が使われます。でも近年はプロの職人も少なくなっていました。

ところが、最近このドライストーン.ウォールが都会で注目されてきたのです。何故でしょう?それはガーデン用の需要が増えてきたためです。そこで使われるのはコッツウォルドストーン。あの蜂蜜色の石がガーデンにはとてもいい感じで、植物を引き立てます。しかも金づちで簡単に割れるので適当な大きさ、形にもできます。

私がドライストーン.ウォールに興味を持ったのは、石と石の隙間に動物や昆虫が住んでいて、それが自然を守るうえで大切とおしえられた時からですのでもうだいぶ前になります。一度は凝ってしまって、沢山本も読みました。「昔は腕の良い職人でも一日に2メートルもできれば上等だった。」なんて聞いた時は「本当かな?ただ石を積めばいいだけなのに。」なんて思ったものでした。

それで今回同僚からの情報で、ロンドンでドライストーン.ウォールの作り方をおしえてくれる場所があると聞いて行ってきました。向かったのは英国一の高層階ビル ‘シャード’ の近くにあるクロスボーンズ.ガーデンです。(Crossbones)





ここはその昔、非常に貧乏だった人たちやその子供たち、売春婦など世間から忘れられた人たちおよそ15000人が埋葬されているところです。最近まで閉鎖されていましたが、ここをメモリアルガーデンにしようとボランティアが集まって、今素晴らしいガーデンが造られています。塀の一面は、埋葬されている人たちのために、また近年に亡くなった愛する人のためにと祈りをこめて結ばれたリボンやメッセージで埋め尽くされています。




 
 
1728年12月26日に亡くなった人のために。
 
 
 


そこで、埋葬されている人たちの遺骨をじゃましないようにとドライストーン.ウォールを使って、高い位置に花壇を築くことが決りました。まずは先生から手ほどきを。先生は8歳の時からドライストーン.ウォールを作っているというジョン先生。まるでご飯を食べるかのように自然に石を積んでいきます。





「OK!出来る出来る。先生、まかせてください!」と皆自身たっぷり。でもいざ始めてみると....。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
まず適当な形の石を見つけます。ちょっとでっぱったりした部分があれば金づちで切り落とすのですが.....「ここの部分だけ」と思ってた叩いていたら真っ二つに割れてしまったのがほとんど。
 
 
 
 
 
 
「一日に2メートル」??? とんでもない。私は2時間でやっと5個の石を積みました。難しい~~~。でも最後にはちゃんとお免状をいただきました。ただ単に参加しただけのお免状ですが、なんとなくうれしい。
 
 
 
 
今度田舎に行ったら、ドライストーン.ウォールをもっと違った目で見ることでしょう。何キロも続くこの石垣を作った人の苦労を思いながら。ところどころ壊れた石垣を見て「これを作った職人は腕があまり良くなかったようですねー。」などとは決して言わないことにします。
 
 
 
 
 



5/22/2015

日本に行く友人から。

ここ1,2年日本に行く、または行きたいというイギリス人が私の回りに急に増えたような気がします。先日、主人の友人Hから「妻と一緒に10月に日本にホリデーで出かけることになったので、日程表を作っているところだ。ランチがてら家に来て相談に乗ってくれないか?」と、連絡が入りました。奥様の仕事の関係で長いホリデーを取ることはできず、今回は最高2週間の滞在となるようですが、「忙しい旅行はしたくない」「でも伝統的な日本を多く経験したい」というのが希望です。

さあ、それから私は家族、知人にメールや電話で相談しました。何せ、国内旅行もあまりしていないまま日本を離れてしまった私です。「もっと色々行っておけばよかった。」といつも後悔しているほどなので、日本での観光のことなどアドバイスできる立場ではありません。

色々な人に話を聞いて、結局は「初めての日本行きならば。」という理由で京都、奈良、高山、日光を勧めました。本当は函館にも行って欲しかったのですが今回はちょっと無理そう。

今回、彼らが日本を選んだ大切な理由のひとつは奥様の曾曾曾祖父母が19世紀の後半に観光で日本を訪れたことです。曾曾曾お祖母さんは中国、日本、オーストラリアを旅行している間に日記をつけていて、帰国後に出版。そのオリジナルは大英図書館に保管されています。そのコピーを見せていただきました。






第11章
日本
10月3日 土曜日

朝食をとった直後に美しい島が見えてきた。案内人に頼んで島に近づいてみると段々畑が見えてきた。そして村の上には灯台が立っている。墓地とお寺も見えてきた。島はだんだん多くなってきて、私たちは島の間の小さな隙間を縫うように進んだ。Mojiに着いた時に錨を下した。石炭を調達するためだ。平底荷船がすぐにやってきて仕事が始まった。男も女も一緒に仕事をしていたが女のほうが多かった。彼らは小さなバスケットに石炭を入れて、次から次へと手渡していく.....
 
 
 





当時は東京はTokyoではなくTokio,京都はKyotoではなくKiotoと書いていたようです。
 
 





 
曾曾曾お祖母さんの写した写真も載っています。

 
 
 
 
 
 
この写真の下には LAKE CHINZNIGI, NIKKO と、書かれています。中禅寺湖は彼らには ‘チンズニギ’ と聞こえたのでしょう。
 
 
 
 
 
 
「同じ場所で写真を撮ることができたらその写真は家宝になるわっ!」と奥様。そうですね、周りの景色は、ちょっとは変わっているかもしれないけど先祖が立った同じ場所に立つなんて感慨無量でしょうねー。
 
紅葉にはちょっと早いかもしれませんが、きっと素晴らしい日本を堪能してくることでしょう。でも、心配なことがひとつあります。それは先日の帰国で「慣れない外国人は苦労するだろうな。」と思ったことが何回もあったこと。オリンピックが迫っているのに、外国人を受け入れる体制がまだまだできていないというのが正直な感想です。これからの準備に期待します。
 
 
 


5/17/2015

子犬を引き取りにリホームセンターへ。

今年初めに友人夫婦の犬が亡くなりました。昔から犬、猫、鳥、カメ、モルモット、ウサギなど常にレスキューされた動物を飼っている友人ですが、それらの動物が亡くなるたびに悲しい思いをしています。その中でも犬猫を失った時のつらい気持ちは相当なもので、何度経験しても決して慣れることはありません。一か月くらい前にやっと新しい犬を飼う心の準備ができたようで、ウッドグリーンというリホーミングセンターに相談しました。そして昨日、もう一匹の飼い犬タイラーを連れて新しい犬を引き取りに行く際に、私もくっついていったというわけです(リホームとは新しい飼い主に引き取られることを意味する)。

ウッドグリーン(http://www.woodgreen.org.uk/)という名のこのリホーミングセンターへは初めて行きました。その広さにびっくり。1924年にロンドンの北部に住むひとりの女性が始めたこのチャリティは今では国内に3か所のリホーミングセンターを持ち、特にケンブリッジシャー州に5300坪という広大な敷地を持つ本部では、リホームされるのを待つ犬猫、鳥、ウサギ、イタチ、鶏、モルモットなど救助された動物が飼われています。

 
地図を見ていただければどのくらい広いかがおわかりになるでしょう。
 
 
 
 
 
敷地内には動物の住む場所だけではなく、獣医さんの診療所、大人、子供の教育センター、レストラン、売店、子供の遊び場など色々な施設が揃っています。独自の風力発電も行なっていて環境も考慮した素晴らしい施設です。動物園のようであり、動物園とは全く違う施設。違いは訪問客より動物の福祉を一番に考えていること。そういう環境で暮らすハッピーな動物を見ることが、つまりは訪問客をも幸せにしてくれるのですものね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 売店だけでもこの広さです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
毎年ここでリホームされる動物たちは5,500匹以上。でも、誰でも簡単に引き取ることができるのではありません。そのプロセスは、イギリス内のどのリホーミングセンターでもほとんど同じです。
 
それではその通常のプロセス(犬の場合)を簡単にお知らせしましょう。(子犬の場合は少し違うところがある)
 
①興味のある犬をネットで見つける。
②センターに面接の予約を取る。
③必要書類と共に(新しい飼い主の情報。例えば家族構成は?どういう家に住んでいるのか?犬を置いて家を空ける時間が一日に平均何時間あるか?子供の数、他のペットの数など)、可能であれば家族全員でセンターを訪れスタッフと面接する。
④面接をパスした後で、希望の犬と面会。
⑤犬が決った後で、スタッフとその犬の健康状態などを話し会う。
⑥スタッフの同意があった後、その犬を犬舎の外に連れ出して一緒に散歩する。
⑦引き取る側とセンターのスタッフの間で、上記が全て満足された場合48時間以内に新しい飼い主が家族と相談の上、決定。
⑧犬を引き取る。
⑨引き取った後もしばらくはセンターから電話で様子をチェック。
 
私たちがルビーたちを引き取ったバタシーのレスキューセンターは事前にスタッフが我が家に来て、犬たちがどのような環境で住むことになるかや、庭には犬たちが逃げ出す隙間や穴がないかどうかもチェックしていきました。
 
成犬の場合は引き取る段階で120ポンドを支払います(2万円2000円)。その中には去勢手術の費用(すでにセンターで済まされる)、マイクロチップ代、そこまでに必要な予防注射、ノミ、寄生虫の処理、4週間の保険料が含まれています。
 
さて、それでは写真と共に、リホーミングセンターに行った時のことをお話しします。
 
 
犬のリホームの課はこちら。
 
 

 
 
 
 
今回はあるお母さんから(レスキューされた際にすでに妊娠していた)生まれた子犬5匹のうちの一匹を選びました。
 
 
 
 

 
 
 
 
亡くなった友人の犬のアビーはラーチャー犬でしたので、彼らは今回もラーチャー犬を探していました。我が家のルビーとジャスパーもラーチャー犬です。でも成犬になってから引き取ったので、赤ちゃんの時の様子が想像できませんでした。今回初めて目の前でラーチャーの子犬を見ました。ラーチャー犬という犬種は色々な血が混ざっている雑種です。ですから犬のショーなどにはこの犬種のカテゴリーはありません。ここにる子犬は生後8週間です。
 
 
 
この中から一匹の子犬を決めるのは不可能に近いことでしたが、やっと決心したようです。
 
 

 
 
 
 
その後、タイラーと面会。人間と同じで気が合うかどうかをスタッフがチェックします。
 
 

 

 
 
 
サルーキー犬のタイラーは13歳。人間で言うと曾孫くらいの年の差です。
 
 

 

 
 
 
スタッフの同意も得られ、犬同士の面会も成功して晴れて友人の家の子になりました。
クローイー(Chloe)をご紹介します。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
アビーを失って元気がなかった友人たちの幸せそうな顔を見たのは何か月ぶりでしょう。その日、私は朝6時半に家を出て、帰宅したのは夜の9時でした。主人は「もしかしたら?」と心配していた様子。あの子犬たちを見たら、誰だって連れて帰りたくなること間違いなし。私もそのひとりです。こんな人がいるから捨てられる犬も多いのでしょう。感情だけで動物を飼ってはいけません(と、自分に言い聞かせ)。一度飼ったら、余ほどのことがない限り一生のお付き合いです。年をとれば人間と同じく介護が必要になるでしょう。病気になれば獣医さんに連れて行かなければいけません。毎日の散歩はもちろんです。先述した「犬を引き取る際のプロセス」は、そういう意味でも大切なことなのです。
 
 
Dogs are for Life, Not Just for Christmas.
犬とのお付き合いは一生続きます。クリスマスだけではありません。
 
犬好きの人たちの車に貼ってあるスティッカーのスローガンです。
 


5/14/2015

田舎暮らしの予行演習

「来年田舎に引っ越す決心をしたの。すごく楽しみでもあるけれど、田舎に住んだことのない私が60歳半ばに近付いてからの田舎暮らしはちょっと心配」と、南のケント州に住む友人に話したところ、「きっと気に入ると思うけど、よかったら予行演習にきてみない? 私の田舎暮らしを見せてあげる」と言ってくれました。


ロンドンから列車で45分くらい南にいったところに住む友人と駅で待ち合わせ、まず向かったのは市民農園。彼女は野菜からベリーなど沢山育てています。市民農園とはallotmentと言って、庭を持っていない人、または庭の大きさが十分でない人が市から低料金で土地を借りて植物を育てている場所の事です。







 
 
 
彼女の家の庭で種から育てられた苗は、少し大きくなるとalltomentoに移し替えられます。
 
 
 
 
 
 
 
 
allotmentで汗を流した後で向かうのはもちろん村のパブです。
 
 
 
 
 
 


パブの近くにはもちろん教会が。起源はサクソン時代に遡ると言われる古い教会です。
 
 
 




田舎暮らしで私が楽しみにしていることのひとつがウォーキング。パブリック.フットパスのサインがあちこちにあります。
 
 





 
 
丘を登って....
 
 
 
 
 
 
 
 
歩き疲れたら村郵便局の中にあるティーショップでお茶を....
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
メニューを見たらなんとアフタヌーンティが10ポンド!!!ロンドンの高級ホテルの5分の1以下ではないですか!「要予約」だそうです。
 
 
 
 
 
お天気もよく、ハッピーな一日でした。この日は田舎暮らしの素敵なところばかりつまみ食いした気がします。実際に住んでみると色々問題もあることでしょう。まだどこに住むかは決めていません。主人曰く「田舎に暮らしたいのは事実だが、誰も会いにきてくれないようなところは淋しいからせめてロンドンに簡単に行けるところがいい。」
 
それなら田舎ではないでしょう!後一年のうちに考えなければいけないことが山ほどありそうです。でもこの日、予行演習に誘ってくれた友人が「しばらくは私が行って、田舎暮らしの手伝いをしてあげる」と言ってくれたので、その心配も徐々に小さくなってきています。