9/26/2016

秋のガーデン

日本からのガーデンツアーは6月のバラの時期に集中しがちですが、秋の庭も素晴らしいので、今日は先日のウェールズツアーで訪れたボドナントガーデンにご案内します。

ボドナントガーデンはそれまでは茶色だった石鹸を白くするプロセスを発見した化学者であり企業家でもあったヘンリー.デイヴィス.ポチンが北ウェールズで1874年に購入した土地に創られたガーデンです。1949年にポチンの子孫によってナショナル.トラストに寄贈されましたが、現在でも子孫の1人がガーデンの運営に関わっています。5月から6月にかけては特にキングサリのトンネルが有名でその時期は訪問客も多いのですが80エーカーという広大な敷地ですから「人間ばかり!」と感じたことは一度もありません。もっともイギリスのガーデンはどこも広いので6月でも混雑することはないのですが。









秋のバラはまた春とは違った落ち着いた美しさがあります。








今回感激したのはThe Bathと呼ばれる池でガーデンを最初に創ったポチンの日記には「今日、アーチ(現在のキングサリのトンネル)とプールが出来上がった。」とありますので、この池はガーデンで最初に創られたもののひとつのようです。そこでは家族が泳いだりしたこともあったのでしょう。



完全に静止していて、まるでガラスを張ったような水の表面に映る空の色と建物、植物....



 
 
 
 
 
 
 




たしか、ボドナント.ガーデンはヒドコート.マナーに次いでナショナル.トラストが純粋に庭のみ入手した2番目の庭だったと思います。それまでは建物に付随したガーデンのみでした。ですからここはいまだに建物は公開していません。ナショナル.トラストが「庭だけでも十分保存、一般公開する価値がある」と判断したものという意味です。


ベス.チャトーのガーデン、そしてボドナント.ガーデン。今年は私が特に好きなガーデンふたつに行くことができました。皆さんも是非イギリスの「秋のガーデン」を訪れてみてください。同じガーデンでも夏と秋では随分違います。そして欲を言えば冬も素敵なのですが、冬に公開しているガーデンは少ないのが残念ですね。

9/25/2016

ハッカーに遭ってしまいました。  その2

私からのメールと称して「リンク先に返信してください。」という内容のメールが来たら絶対に返信しないようにしてください。
その返信先のメールアドレスは、私のメールアドレスにそっくりですが、一文字だけ違っています。これで、完全に違うメールアドレスとわかるのですが、ざっと見ただけでは気がつきません。

返信ではなく、改めて私のメールアドレスにメールを送信して下さった方は心配ないはずですが、返信してしまった方はそれぞれのサーバーにご相談ください。

被害に遭った方がいらっしゃらにことを祈るばかりです。

9/24/2016

ハッカーの被害に遭ってしまいました。

ウェールズのツアーに行っている間に私のメールがハッカーの被害に遭ってしまいました。

それでパソコンに保存されているメールアドレスに私からのメールとして(もちろん私ではありません)、「今トルコにいて、犯罪の被害に遭い、お金がなくなったからホテルから出られない。それですぐにお金を送ってほしい。」という内容のメールが行ってしまいました。

心配された友人やお客様から、電話、メールを沢山いただきました。
本当にお騒がせしてしまって申し訳なく、ご連絡いただいた方々には心からお詫びを申し上げます。

メールをいただいた方には順にお返事を差し上げますが、かなりの数になってしまったのまずはブログで無事をお知らせします。

私はこの通り元気で、トルコにも行っていませんのでご安心ください。

ご迷惑をおかけしたこと、本当にごめんなさい。

由美子

9/19/2016

甘いお豆

Sweet Bean  .  .  .  . 

これ、先日プレゼントにいただいたDVDの日本の映画のタイトルです。日本では ‘餡’ というタイトルになるのかしら? もしそうであれば日本名の方がずっとピンとくるのですが。
でも 英語で書けば‘Ann’となるので、女性の名前のように聞こえます。


 
 
日本ではすでに話題になっているかもしれませんがイギリスでも放映されたのですが、見損なってしまったのでDVDを頂いたときはうれしかったですねー。
 
それで、この映画はどら焼き屋さんの話から始まるのですが、それは単にどら焼きに留まらず、どんどん世界が広がっていきます。そこには人間として生きることの意味、(先日ブログに書いた「人間は自然の一部」ということもこの映画の中では見事に表されています。)無情、全ての自然が持つ命(小豆)、あれほど見事に無限の内容をうまく表現している映画も少ないと思います。
 
英語の字幕があったので主人も感動していました。
 
それと...どら焼きは私の好物の一つ。息子が一番好きな和菓子。あの餡が放つ赤い光を見たら、益々日本が無性に恋しくなりました。もう一年も帰っていないので、そろそろ....?
 
 

9/18/2016

ヴィーガン料理の修業から戻りました。

ヴィーガン料理の修業から戻りました。生まれて初めて料理学校に通いました。パン、パイからモロッコ料理、インド料理、タイ料理、サラダ....それはそれは多くの料理を教わりました。

今回通ったのはBathにあるデミュース(Demuths)というベジタリアンの料理学校です。Bathの中心、大聖堂のすぐ近くにある学校です。大袈裟な看板は無く、グレイのドアに名前が書かれているだけでしたが、ヴェジタリアン料理の世界では有名な学校です。




クラスは6名で先生のデモンストレーション後、二人が組になってお料理を作りました。それでは、その中からいくつかをご披露しますね!


使った野菜の種類は数え切れず....
 
 
 



先生のテーブルはデモンストレーション、味見の他時には料理に関係のないおしゃべりなど、すっかりくつろいだ料理教室でした。
 














まずはハーブを沢山使った野菜のダシの作り方から。このダシは、その日の多くの料理に使いました。
 
 
 





包丁の使い方も教わりました。
 
 
 

 
アーティチョークのファリナータ




 
カリフラワーのタブーレ 
 
 

 

ヤシの実と茄子のタジーン
 




トマトのグレイヴィー入り、ズッキーニとレンゲ豆のコフタ
ターカ.ダール(どちらもインド料理)
 





マンゴーとヨーグルトのデザート(豆乳のヨーグルト)



 
タイのレッドカレーとジャスミン.ライス




ズッキーニで作ったスパゲティ。





ベリーを載せたチョコレートとアボカドのタルト




フォッカチア。田植えのミニチュアみたいです。慣れているせいか(実際田植えはしたことはありませんが)、これだけは先生から「完璧!」と言われました。
 
 
 
 

この他、毎日最低5種類は作っていましたので、沢山教わりました。一日が終わるとぐったり。でも満足度は100%。毎日の終了はミーティングルームでの反省会。さすがヴェジタリアンの料理学校とあって、テーブルにはお花ではなく瓜が。日本のカボチャも美しい。





今回の受講生は男性3名、女性3名の6名です。年齢は22歳から65歳までで、アイルランド、マンチェスター、シェフィールド、ロンドンなど全国から集まりました。毎日ヴィーガン料理についてかなり色々広範囲に学ぶことができましたが、もうひとつ宝物を得ました。それはクラスメートです。年齢も性格も全く違う6名が集まって始めはどうなることかとちょっと心配しました。参加理由も、「ヴィーガンのおばあちゃんにおいしいヴィーガン料理を作ってあげたい」「いずれヴィーガンレストランを開きたい」「お肉、お魚料理はある程度わかるが野菜料理を手っ取り早く作りたい」「健康のため」と、さまざま。ところが全員一日目から意気投合。最終日には皆、別れがつらくて連絡先を交換しながら同窓会を約束しました。中にはすでにディプロマのコースに入学を決意する人も。

私に関して言えば、最終日には「あと5年後に皆さんを我が家にヴィーガン日本食にご招待します!」と約束してしまいました。「何故5年後なの?」と聞かれました。「4年では短すぎるので」と答えましたが5年でも短いかしら?でも私はこれから精進料理を勉強して必ず皆さんをご招待しますから気長に待っていてください!実は今回の6名は和食にすごく興味があって、色々聞かれました。その都度、曖昧な答えしかできなかった私。すごく反省しました。せめて自国の料理に関してはもっと知識を広めなければ。

彼らの日本食に関する知識も相当なもので、「日本にはウマミを出す昆布やシイタケなどが豊富なのに、何故鰹ぶしや魚を使わなければいけないのか?」と聞かれました。私も全く同感です。全ての物に魚のダシを使う必要はないと思います。

いつか日本でもっとヴェジタリアン・ヴィーガン料理が浸透し、料理教室に通ってみたいという方が増えたら、是非カルチャーツーリズムUKでヴィーガンツアーを企画したいと思います。

9/10/2016

ヴィーガン料理の修行に。


明日から一週間、Bathにヴィーガン料理の修業に行ってまいります。

もう10年もヴィーガン生活をしていながら、ヴィーガン料理の基礎を何も学んでいないのでこの際、じっくり修業をすることにしました。と言っても一週間で学ぶことには限界があります。今回は手始めと思って行きます。以前ヴェジタリアン料理教室に通った友人から、包丁の使い方もそれぞれの野菜のための方法があって、とてもためになったと聞いていましたので。そこまでは習う時間はないかもしれませんが。

キッチン付のホテルに泊まりがけですので、先日カナダの娘からヴィーガン食のハンパーが届きました。(カナダからイギリスの会社にオンラインで注文してくれたものです。)
ワイン、ビスケット、チョコレート、スナック菓子、パテ、お茶、チップス....



 
 
 
出版100周年を迎えたファッション雑誌 ‘ヴォーグ’ の最近の記事です。
 
 
 
 
 
 
ウン?そこには「ロンドンで今、最もファッショナブルなレストラン。それはたまたまヴィーガンのレストランでした。」というような内容。
 
そのレストランの名前は‘ファーマシー’。元ハロッズのオーナーだったアル.ファイドの娘さんカミラさんがオープンした新しいレストランです。そのせいかセレブがいっぱい。
 
右は昔からヴェジタリアンで知られるポール.マッカートニーの娘でデザイナーのステラ.マッカートニー。
 
 
 
 
左下がオーナーのカミラ.ファイド。
 
 
 
 
実はこのレストラン、今年の私の誕生日に主人がこっそり友人と図って「サプライズディナー」を開いてくれたところ。我が家は主人も子供たちもサプライズが好きなまるで子供のような家族ですから、それはそれでとても嬉しかったのですが、食事に関しては期待外れ。
 
メニューはパスタやハンバーガーなど、普通のレストランのヴェジタリアン・ヴィーガン用のメニューとあまり変わりません。もっと個性的な料理を期待していました。
 
今、イギリスではヴィーガン料理がどんどん注目されてきています。これまでは「お肉、お魚抜きでもおいしい料理」としてヴィーガン料理が紹介されていました。
でも野菜だけのほうがおいしいお料理も沢山あります。だからこれからはヴィーガン料理は肉、魚と比べるものではなく、それ自体が「美味しい!」と思える料理になってくるはず。つまり野菜の繊細なダシを使い、それぞれの野菜の持ち味を活かした、また組み合わせを考えた方法で作られた料理です。
 
ヴィーガン料理のシェフと話したことがあります。彼は元は普通の料理を作っていた人。ところが野菜の繊細な味を研究すればするほど肉魚よりも、その料理法はどんどん広がってくると言っていました。そういうシェフに大いに期待したいところです。
 
私はと言いますと、シェフになるつもりは全くありません。でも家庭や友人たちに美味しいもの、気持ちの良いものを提供したいという気持ちが強くあります。
 
ファーマシーの場合は、まだまだこれからという気がしました。名前だけが先に出てしまったのは、返って逆効果かもしれません。これからに期待しましょう。
 
では行って来ます!

9/07/2016

貴族の悩み

モーバラ公爵が所有するブレナム宮殿やベッドフォード公爵のウォバンアビーなどを見学するとお客様は「こういうところに住むのってまるで夢の世界ですね。」とおっしゃいます。そのたびに私は「いえいえ、実際に住むと色々苦労があるものです。」とまるで私が所有しているように答えます。

ナショナルトラストやイングリッシュヘリテージのような保存協会の手に渡ればそこが管理をしてくれますが、いまでも個人で所有しているところは本当に大変そうです。

 
イングリッシュ.ヘリテージが管理するケンウッドハウス
 
 




ナショナルトラストが管理するオスタリーハウス
 
 




個人所有のブロートン城




個人の場合は広大な敷地の芝刈りに始まり(ご自分でされるのではないでしょうけど。あまりに広い牧草地は羊がちゃんと維持?してくれます。)、敷地の管理、スタッフのまとめ役、雨漏り(バケツを下に置いただけではすまない大漏れ)など彼らは彼らなりに私たちには想像もつかない程しなければいけないことがどっさりあるのです。

でも、その中でも一番の悩みは金銭的なこと(みたいです)。これだけの土地、建物を管理するということはひとつの企業を動かすのと同じです。それ以上に第一の目的である建物の保存は普通の企業以上の苦労があるはず。

以前、ハリーポッターの映画にも使われたアニック城に住むノーサンバーランド公爵に関する記事が新聞に載っていました。その中で公爵はこうおっしゃっていました。「一般の人には夢の生活と思われるでしょうが苦労は沢山あります。維持していく金銭面、そして一般に公開するということはプライベートの生活にも影響があるということなので子供たちが小さかった頃は気を遣いました。」

時代時代にタイトルを授かった貴族はタイトルに恥しくない豪邸を建てました。その時はビル. 
ゲーツも顔負けの大金持ちであったのが、当時の政治の犠牲や投資の失敗、戦争などで財政が苦しくなってきます。それを解消する手っ取り早い方法はお金持ちのお嫁さんをもらうことでした。

9代目モーバラ公爵はアメリカの鉄道王の一人娘と結婚し財政困難を切り抜けましたが、結婚は失敗。始めから愛が存在しない結婚でした。二人の男の子を生んだ妻のコンスエロ.ヴァンダビルトは「私はエアー(後継ぎ)とスペアーを作りましたので、義務は果たしました。」と言って宮殿を去ります。お金が欲しいひとと、タイトルがほしい人の結婚はホーガースの風刺画にも描かれていますね。


ブレナム宮殿
 
 




大邸宅の大きな財政問題は税金、特に相続税です。1900年に入ってからはなんと1200の館が壊されています。その中には400近くの「建築上最も重要な建物」も含まれていました。すぐにお金になる館はホテルや宴会場、プライベートの分譲マンションなどに姿を変え、他は壊されて永遠になくなってしまったのです。

今でも館の売却とまではいかなくても時々貴族の財産、名画や銀の食器などがオークションにかけられています。特に価値のあるものは美術館、博物館が買うようにします。そのための一般募金運動もあちこちの美術館、博物館で行われています。

バーミンガム郊外にあるバッズリー.クリントンは15,16,17世紀に(堀は13世紀)フェラーズ家の人々によって建造、増築、改築されました。エドワード.フェラーズはヘンリー8世の臣下のひとりでしたが‘サー’の称号は持っていても貴族ではなく、特にお金があったわけでもありませんでした。









しかし、これまでにここに住んだ人たちはなんとかして建物を保存することに力を注ぎます。その理由の一つは一族の歴史、特に宗教的な理由があったでしょう(フェラーズ家は宗教改革後もずっとカソリックでした)。でも一番大きな理由は館の代々の主が「古き時代のイングランドの封建社会での荘園主の暮らしの歴史、建物」に芯から興味を持っていたからだと思います。

エリザベス一世下で行われた「カソリックの神父狩り」は、バッズリー.クリントンをも巻き込みました。フェラーズ家はその時、すでにカソリックの神父をかくまっていました。1591年10月、神父狩りの手がバッズリー.クリントンにもやってきましたが、機転の利く召使いのおかげでトイレの下にある‘プリースト(神父)ホール(穴)」と呼ばれる隠れ穴に4時間隠れた末、神父は命拾いをしたのでした。

もし見つかれば、神父どころか館の主も処刑、そして館を含む財産も没収された可能性が大です。


キッチンの床から梯子を使ってプリーストホールに逃げた神父はここで息をひそめていました。





でも、バッズリー.クリントが今存在している一番大きな理由は19世紀にここに住んだクオーテット(The Quartet)と呼ばれる4人組がいたからこそのことと思います。マーミオン.エドワード.フェラーズは1813年に生まれここに住むフェラーズ家では12代目にあたる人物です。彼は先祖代々住みついたバッズリー.クリントンをこよなく愛します。彼の妻レベッカはマーミオンより17歳も年下でしたが以前からカントリーハウスを訪れることが好きで、バッズリー.クリントンにも深い愛情を抱いていました。

さほど裕福でもないふたりは館を保存するために苦労しますが、そのうちにレベッカの伯母であるレディ.チャタ―トンとその夫であるエドワード.デリングが同居します。彼女たちも古い建物に深い興味を持っていたので、バッズリー.クリントンにも深い愛情を示します。そして修理、改築に多大な援助をしたおかげで、4人が健在な間は古き良き時代を懐かしく思う芸術家、例えな詩人ワーズワースや作家ディケンズなどがロマンを求めてバッズリー.クリントンを多く訪れていました。

レベッカは画家でもあり、館内には彼女の絵が多く見られます。下記の肖像画は全てレベッカの手による4人組の肖像画です。

 
マーミオン
 



レベッカ
 
 
 
 
レディ.チャタ―トン
 
 
 


エドワード.デリング
 
 



グレートホールでくつろぐザ.クオーテット(4人組)
 
 
 
 
今のグレートホール
 
 




4人亡きあとに館は売却されますが、買った人々もまたバッズリー.クリントンをまるで生きている家族のように大切にします。それぞれがこの館の保存のために努力し、ついにそのうちの一人が1980年にナショナルトラストに寄贈してバッズリー.クリントンは永久に保存されることになったのです。

主は変わっても館はそのまま。そしてそこに住んだ住人の歴史も変わることなく将来の世代に受け継がれていくのです。


キッチンで館の歴史を熱心に説明するボランティア.ガイド
 
 



 
庭でもボランティアのガーデナーが。
 
 



 
彼らたちに話しかけてみると、ザ.クオーテットの存在が感じられるような気がします。ボランティアのひとたちもやはりバッズリー.クリントンに愛情を持っているのがわかります。見事なダリアは、バッズリー.クリントンの将来を祝っているかのようです。
 
 

 


 静かにこのベンチに座るときはザ.クオーテッとのことが自然に思い出されます。


 
 

イギリスに今でも多く残る館を訪れる時、そこに住んだ人たちの保存に対する並々ならぬ努力を思わずにいられません。